閑話休題:動物の数え方も、「何人」、としたらどうだろう・・。

以前NHKで、アフリカの旅番組をやっていたことがあった。
先進国のヒマな人があちこちに旅行して、沼にバスがはまって大変だった、とか、ラフティングでどうしたとかやっていたが、アフリカという地の現状を考えると気楽なもんだと思った。そして、でもこうやって何らかの形で現地にお金が落ちるなら、それもそれで良いのかもしれない、と思ったり。
そして、ウガンダチンパンジーに会うシーンがあった。1時間ほど森の中を歩いて、ようやく1匹のチンパンジーに会えた、とかなんとか。
ここでふと思った。
チンパ、「1匹」ではなく「一人」と呼んでみたらどうだ?「ようやく一人のチンパンジーと会えた」と。となると、何か付き合い方というか感じ方というか、全てが変わるような気がしたのだが・・。
でもってうちにも2匹の犬がいる。動物の擬人化というのは古くからあるし、よく言われるように、ペットなんかは「家族の一員」の感はある。が、でも「何匹」と呼んでいる限りは、やはり奥底には、こいつらは人間じゃないしなー、というのがあるかもしれないなー。1匹は既に10年以上、もう1匹も一緒に暮らして5、6年。性格もほぼわかっている(ような気がする)んだけど、ま、やはり根源的なところで人間とは異なる、というか・・・。
でもここで、うちの犬達を呼ぶときに、1匹ではなく「一人」、と呼ぶようにしたらどうなるんだろう。「あの人はこんな所でオシッコをして、ほんとにもう!」とか、「この人は、1日中、食い物のことしか考えていない」とか。
ま、お犬様は、チンパンジーと比べると人間どもと距離は遠くなるから無理感もあるが、それでも何か新しい発見があるかもしれぬ。もっとも彼らにとってみれば、有難いことになるかもしれないし、逆に迷惑なことになることもあるんだろうが・・・。ま、うちの犬だけでなく、時々庭に飛んでくる色々な鳥なんかも、「お、今日はあの人はこの時間に来てエサをつついているな」とか、「いつもは二人で来るのに、今日は珍しく一人か」とか。
・・・とか考えてくると、「擬人化」への近道は、意外とその数の数え方なんかにあるのかもしれない。
でもって、擬人化が進むと、世の中はいろんな変わった人ばかり、ということになる。ま、「変わった」というのは、姿・形とか習性とか寿命とかになるのだが。で、更に、人間は神様との距離が近くなったり遠くなったりするけれども、生けとし生きるものを全て擬人化した後に、人間と同様に神様だという考えに至ると、「八百万の神」という発想が出てくる、ということなのかもしれんなー。でも、これって、日本人に特有なことらしいし。
・・・とかあれこれ考えたアフリカ関連のテレビ番組であった。