文科省前川前次官の告発。 論点その2: 何故、いまになって・・・?

 この件は、5月17日の「総理のご意向云々」という見出しの朝日新聞の報道が端緒である。そして当日の菅官房長官の否定発言、22日の読売新聞での前川氏の出会い系バー通いの記事、と続く。
そして、25日発売の週刊文春で150分に渡るというM氏本人のインタビュー記事が掲載され、同日の午後、報道各社に対するこれまた1時間半の記者会見が行われた、というのがこれまでの経緯である。
 朝日新聞週刊文春を読まない人も、この記者会見はテレビで大々的に報じられたことから広く知られるところとなり、事態は一気に広がりを持った。そして数多くの感想が生まれたわけだが、大方の真っ当なものは「どうもこの前川さんという人の言っていることは本当らしい。でも、もしそうなら何故現役のときに、そうした理不尽な動きを身をもって阻止しなかったんだろう?」ということのようである。
 確かにそうした疑問はごく自然に生じるが、この点、M氏は週刊文春のインタビュー記事の中で以下のように述懐している。「本来なら、筋が通らないと内閣府に主張し、真っ当な行政に戻す努力を最後まで行うべきだったと思います。・・・それができなかった、やらなかったことは、本当に忸怩だる思いです。力不足でした」。正直かつ率直な述懐であろう。
 サラリーマンとして禄を食む者、もしくは食んだ者は、多分誰しも経験があるのではないだろうか。
仕事上、自分の意向が叶えられないとき、ケースによってはぶち切れたくなることが。だがほとんどは思い留まる。根性がない、仕事への信念も持たないというような理由であれば論外だが、ある程度地位も上がり、自分の関わる仕事の範囲も量も増えてきたときであればどうであろうか?まずは、その他の案件への影響を考慮して、プッツンするのをぐっと我慢するのではないか?
であれば、次官であったM氏は、文科省の所管の案件全てを管掌、そして事務方のトップとして決済を行い責任も負う、という立場にあったわけで、言ってみればそうした我慢の働きやすい地位にあった訳だ。
敢えていえば、そうしたスタンスを貫いてきたからこそ次官にまで上り詰めたのであろう。
 では「何故今になって・・・?」という点である。
次官になって半年も経たない内に例の天下り事件が発覚、結局1月20日付けで文科省を退職することとなった。ここでまずM氏は、(天下りについては他省庁も沢山のケースがあるのに)何故わが省だけが・・、という割り切れない思いを抱いたとしても不思議ではない。そして(ご本人の発言によれば)9月に官房副長官からは出会い系バーへの通いを注意され、またほぼ同時期に官邸の関係者(補佐官や内閣府参与)から加計問題について圧力が加わったり、という不可思議な動きがあった、そのこととの関連を疑うこともあったであろう。だが傷を負って職を辞した身であり、そこは気持ちの整理という段階に留まっていたと思われる。
 ところが5月になって突然加計案件についての朝日のスクープが出た。そしてここで引用されている文書は自分が保管していたものを同じもの。にも関わらず官房長官が定例記者会見で、全否定の答え方をした。ここでM氏の反骨精神に火がついた、ということではなかろうか。
そして週刊文春の取材に応じ、更には大々的に記者会見で思いをぶちまけることとなった、ということではないかと推測する。
 こうした推測には実は大きな前提がある。それはM氏が、生まれも育ちも大変麗しいものであり、であれば通常は、例え自分が意の染まぬ状況に追い込まれてもおかしな行動には向かわないだろう、と考えられるからである。このあたり、某官房長官とは心の動き方や頭の働き方が180度異なる、と言っても良いのではないだろうか。